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「歴史・文化」を訪ねる

中川の歴史を訪ねる

南陽市は、赤湯・漆山・沖郷・金山・中川・宮内・吉野・梨郷の8つの地区があります。

今回は、中川地区を紹介したいと思います。

 

 

 

●釜渡戸(かまのはた)

 

『南陽市立中川小学校 釜渡戸冬期分校』

 

1972年(大正6年)休校、2015年(平成27年)廃校になった『南陽市立中川小学校 釜渡戸冬期分校』。校舎は、すでに取り壊されています。敷地内にはマリア観音が今も残っています。

 

マリア観音

 

 

 

 

また、山形県旧県庁舎及び県会議事堂(現在の文翔館)の外壁に使用された花崗岩(御影石)は釜渡戸で採石されたものだそうです。

 

文翔館

 

 

 

 

●川樋(かわとい)

 

『岩部山(いわぶやま)三十三観音』

1983年(昭和58年)4月に南陽市指定文化財に指定されている『岩部山三十三観音』があります。岩部山(標高506m)の南面の岩に彫られた33体の観音像(磨崖仏)が存在します。この観音像は天保年間に凶作のために乱れた人心と世の中を救おうと地元の松林寺の16代の和尚であった金毛和尚が彫りあげたもので、西国三十三所の巡礼時に写した像が元となっています。
観音像を掘ることとなる発端は岩部山のそばで老石工が一心に石を彫っているのを金毛和尚が見たのがきっかけであり、その翌日より雲水となって国々を歩き渡っています。

 

岩部山三十三観音の駐車場にあります

 

 

 

金毛和尚

 

上を見上げると、こんな場所にも観音様がいます

 

鎖を使って登るところもあります

 

 

 

『不老泉』

 

古くから老ぬ(おいぬ)清水と称せられ名物の一つに、かぞえられていました。明治14年、明治天皇御巡幸のせつ、この清水に「御膳水」の立札が立てられ、京都加茂川の水に等しいと献上申し上げたそうです。

 

不老泉

 

とても透き通った湧き水

 

 

●小岩沢(こいわさわ)

 

『吉田橋』

 

1968年(昭和43)10月、南陽市指定文化財に登録された前川に架かるアーチ式の石橋があります。

橋の長さは約12.6m、幅は約7.2m。中川から産出した凝灰岩が使われています。

吉田橋は、1880年(明治13)に竣工し初代県令・三島通庸の土木事業の一環で構築されたもので、工事は地元の石工・吉田善之助が中心になって行われました。

吉田善之助は赤湯にある烏帽子山八幡宮の石造り大鳥居の建立にも携わった名石工です。吉田橋の名は、石工の名工・吉田善之助の名から採られたものだそうです。

吉田橋は、今でも原型をとどめ県道として利用されています。

 

吉田橋

 

 

 

同じく吉田善之助が手掛けた小巖(こいわ)橋が近くにあります。通称『蛇橋(じゃばし)』。

蛇橋の名前にちなんだ民話が伝わっているので、ご紹介いたします。

 

 

ここ(北川)に架かる橋が木橋の頃、折りからの大水で橋が流れてしまい、渡れずに旅人が困っていると、どこからともなく大蛇が現れ、橋になってくれた。旅人は喜んで渡ったが、途中誤って杖で蛇の目を突いてしまった。蛇は驚き姿をくらまし、その後付近に現れる蛇はすべて片目のものばかりだという。

 

 

2014年(平成26年)の大雨で蛇橋も被害を受け約3年かけ修復されました。

 

蛇橋

 

 

岩部山(いわぶやま)で採石された石でできた石造りの消防小屋もあります。

 

岩部山の石材を使用した消防小屋

 

 

 

 

 

 

●新田(しんでん)

 

伝説の残る『蛙石(びっきいし)』

蛙石に伝わる伝説を紹介いたします。

 

 

村山の大沼に住む主の蛙が、白竜湖の主になろうと赤湯方面に向かう途中、ようやく川樋にやってきたとき百姓に白竜湖までの道を聞くと「ここから白竜湖までは十年坂という坂と、鳥しか通わないという鳥上坂を越えないと行けない」と言われ、これから難所が二つもあるというのではとても行けぬと、腰が砕けてそのまま石になってしまった。

 

 

高速道路の建設により、蛙石を現在の公園に移す際に新たな伝説が生まれました。それは、故障もしていないのに機械が三度も止まってしまい、御祈祷をしてようやく石を動かすことができたそうです。白竜湖から遠ざかってしまうため、動きたくなかったのかもしれませんね。

 

公園入口

 

蛙石(びっきいし)

 

 

 

 

 

 

●元中山(もとなかやま)

 

『御駕籠(おかご)八兵衛井戸跡』

 

 

神に祈願し大力を授かったという八兵衛は将軍様に仕え、将軍様を乗せ、一人で駕籠を担ぐ程の大力無双の駕籠かきとなったといわれ〝御駕籠八兵衛〟と呼ばれていました。

母思いの八兵衛が、母の水くみが遠くの沢まで行くのをみかねて、母のために自分の屋敷に深い井戸を掘ったと言い伝えられていました。その井戸(石組み)が、1913年(大正2年)花窪(元中山)で道路改修工事の時に見つかり、地域の人々は驚いたそうです。1997年(平成9年)に現在の場所に移転されました。

 

八兵衛が掘った井戸(石組み)の跡

 

 

 

 

『経塚経碑』

1745年(延享2年)からの4年間は山形県を含む東北が大雪・冷夏・干ばつなどの異常気象を起因とする凶作にみまわれていたことから、3年連続の凶作の秋を迎えた地域民が、礫石経塚を建立し小石に経文を書いたものを土中に埋め、翌年の豊作と生活の安定を祈願したと思われます。

(すべて自然石で扁平な河原石を選び片面に一字(表裏両面に一文字書かれたものもある)を書写しているものです。)

その経石が地中に残存しており、経塚遺跡が発見されました。調査後隣接地に移設され再埋納されています。(元中山から釜渡戸へ通じる道の脇に経塚経碑があります。)

 

礫石経塚の石碑

 

 

 

 

 

 

●食事処

『一好(ひとよし)食堂』

1976年(昭和51年)から営業している定食屋で県道102号線(旧国道13号線)沿いにあります。

ラーメン、定食、丼類がありメニューが豊富です。

 

 

 

もつ煮定食

 

豚しょうが焼き定食

 

メニュー

 

中川地区にお越しの際はぜひ、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
気さくで優しい店主がお出迎えしてくれます。

 

 

住所:山形県南陽市元中山146-6

TEL:0238-49-2631

営業時間:11:15~14:45

定休日:不定休(営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前にお問い合わせください。)

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